タイドライン・ブルーが生まれるまで

−一番最初にプロデューサーと飯田馬之介監督から、この作品の企画の話があった時はいかがでしたか?
小澤:アニメ嫌いを通してきた僕が「アニメも悪くないなあ」と思ったキッカケは「青の6号」だったんですが、それ以来もう一度アニメと関わってみたいと思っていました。そんな気持ちが膨らんでいた時に、この作品のお話をいただいたんです。
「青の6号」のアニメ制作時から飯田さんとはお付き合いがあって、実は監督は飯田さんでやるような気がしていたんですよ。実際の監督は前田真宏さんだったんですけれども。
気がついてみたら5年くらい経ってしまったけど、いつか馬之助さんとやれるのかなあという気は、ずっとしていました。
だから、プロデューサーと飯田さんに一声かけられた時は、もう何か前から決まっていた話のような気がしましたね。
−作品のテーマについて
小澤:監督の飯田さんから「和解」がテーマだと聞いた時には「おやっ」と思いましたね。
色々なアクションアニメを見てきたけれど、そのアクションが何のためのアクションだったかというと、その部分はかなりぼやけていた気がするんですよ。
改めて「和解」というテーマを言われた時にファイトがわきました。
和解というのは誰もが求めているものだし、和解を必要とする係争というか、人間関係はいたる所にあるわけでしょ。
このテーマなら、説得力のあるものが出来るんじゃないかなと、それを聞いてから、積極的に提案してみようと思いました。
−その場でのディスカッションだけでなく、メールやFAXでのやり取りをして、企画を作り上げていったわけですが、その過程はどのようなものだったのでしょう。
小澤:一番初めに夜明かしで語りあった時の盛り上がりの延長線上で、話足りない所をメールやFAXでやり取りしていきました。
そうしたらドンドン膨らんでいって、このままいったらどうなっちゃんだろうって心配するくらい、エピソードが積み重なっていきましたね。これ以上積み重ねると、監督が整理できないんじゃないか、と思うほど。
なので、ある時期からあえて静観して飯田監督からお話があるまで待機していようと思ったりしましたね。そんな気を回すほど熱が入ってしまいましたね。
−共同作業の戸惑いはなかったですか?
小澤:それは一切なかったですね。何を言っても消化してもらえるだろうという信頼がありましたから。ある意味でこちらは無責任に発言できました。言い換えれば自由に思いついたまま提案できましたから。
−今回の原作において小澤さんの占めていた位置はどのようなものでしょうか?
小澤:その辺はハッキリしないですね。実は僕自身には「原作」という気は全然ないです。自然発生的に骨組みが出来ていったので。
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